朝の気づき「時間について」
早起きの有用性について述べる.
まず朝の時間に余裕ができる.
一日が長く感じられる.
これは意外と大きな収穫である.
なぜなら,私達が生きていくに従って.一日の体感速度は早くなって行く一方だからである.
80歳における1年は1/80,10歳における1年は1/10.
このように,人生に占める時間の割合は小さくなっていく.
人生に流れる時間の速さは同じであるが,体感時間は個人によって大きく異なるものである.
同じ時間を過ごしているが,経験によって差はついていく.
重ねる年齢は同じである.
ならば体感時間がながければ長いほどいいのか?
そう一概にいえないのが人生の深みである.
少し話はそれるが,睡眠時間について考えてみよう.
一部の人間に,「睡眠時間は時間の無駄.起きている時間がながければ長いほどいい」
という主張をするものがいる.
皆さんはどう思われるだろうか.
私はこの意見に賛同できない.
その理由について述べようと思う.
まず,睡眠時間が十分に取れていないと,起きている時間の質が低下することが挙げられる.
十分な睡眠が担保されてこそ起きている時間が充実されると言える.
あなたも睡眠不足で大変な思いをしたことがあるのではないだろうか?
夜中までスマホゲームをしていたせいで,次に日に眠たくて,授業中に寝てしまったり,仕事でミスが増えたりした経験があると思う.
十分な睡眠を取ることが充実した日中の時間を過ごすために不可欠なのである.
ならば十分の睡眠を短時間で取ることができれば効率的か?
そう言い切れないというのが私の主張だ.
その理由について述べていこうと思う.
まず,起きている時間が長くなったとして,何ができる?
確かに睡眠時間が短くなることによって可処分時間(自分の自由に使える時間)は増えるかもしれない.
しかし自由な時間が増えたとして,果たしてどれだけ多くのことを成し遂げられるだろうか?
ここでは脳の問題が絡んでくる.
いわゆる集中力の問題である.
仮に3時間睡眠で生活できるとしよう.
残りの21時間,3食の食事に合計3時間使ったとして,残り18時間.
その時間を集中して過ごせるだろうか.
人間の脳のバランス的に,18時間の集中力を保って持続的に生活することは現実的ではない.
つまり,自由時間が増えすぎても,使いみちがないということだ.
これは,不登校やニート期間を経験したことがある人にはわかってもらえると思うが,自由にしていい時間が大量にあっても,することと言ったら,ゲームや漫画である.
可処分時間の使いみちとしては,人生を豊かにすることに使われたい.
読書,映画,音楽といった趣味や,恋人,家族,友人との交流に当てられると豊かな時間になるのではないだろうか.
大切なのは,使われる時間の密度と対象であって,処分できる時間の量ではないよね,っていうお話でした.